19歳の遺書

中学生の君へ

部活に命を懸けている君へ

「俺には野球しかない」

 

私は小学4年生から地元の少年野球チームで野球を始めました。野球をするのが何よりも楽しく、チームの誰よりも練習しました。しかし、私は絶望的に運動神経が悪く6年生になってもレギュラーの座を掴むことはできませんでした。

中学に進学した私は当然野球部に入部。やはり周りの部員とは実力差があり中々試合に出してもらえません。私は全ての時間を野球に捧げました。練習が終わり、帰宅してまたすぐにユニフォームに着替え、素振り・壁当て・坂道ダッシュをひたすら繰り返しました。そして吐きそうになるほどの食事をとり、筋トレとストレッチをして一日が終わる...

勉強はというと本当に全くしていません。授業を無視して机の中でこっそり握力トレーニングをしていました。赤点をとると練習に出られないので一応テストの当日の朝に教科書を読むことだけはしていました。勉強に時間を使うのは野球を本気でやっていないことになるとさえ思っていました。

そして努力の甲斐もあり少しずつ試合に出られるようになりました。初めてのヒットの感触は未だに忘れられません。

迎えた最後の夏。私に渡された背番号は14。スタメンで1試合、代走と守備固めで4試合に出場することができました。しかし、試合に出られた嬉しさは無く、誰よりも努力したのにレギュラーを取れなかったことへの悔しさで一杯でした。チームは県大会ベスト4で負けてしまいました。

夏が終わるとチームメイトの殆どは高校野球への準備を始めます。しかし私は野球を続けるべきか迷っていました。

私のチームのキャプテンは4番でエースという天才型。自主練習は殆どしていないらしく休日は彼女とよく遊びに行っているとのことです。それでも彼の速球は一級品です。打者としても打率は5割を超えています。対して私は全てを捧げてギリギリベンチに入れるレベル。彼を見て自分の才能の限界を感じていました。

それでも私は野球を続けると決意しました。ここで辞めることは逃げることに他なりません。地元のそこそこ野球が強い職業科高校への進学を決め、最低限の勉強と練習を始めました。

秋のある日、以前から抱えていた膝の痛みが強まり病院に行ったところオスグッド症と診断されました。成長期に過度な運動をしてしまったのが原因でした。医者から半年の安静が必要と言われました。その時、私の中で何かが崩れる音がしました。

 

「野球辞めちゃうか」

 

その後高校に進学した私は、何をしていいか分かりませんでした。野球しかしてこなかった私には何も残っていませんでした。高校野球の話題を聞くと諦めた自分への恥ずかしさで耳を塞ぎました。自分の惨めさから自殺を考えたこともありました。そして、大学生になった今でも劣等感と闘っています。

 

今部活に命を懸けている君に伝えたいのは、部活が人生の全てではないということです。いつか大人になって部活をしなくなる日が来ます。私のように挫折してしまう人もいるでしょう。その時に部活の他に生きていく意味が無いと困ります。部活と同じように全力で勉強をして、友だちと遊び、恋愛をしてくださいね。長々と自分語りをしてしまいました。ご清覧ありがとうございました。

そろそろ私も前を向いて生きていかないといけませんね。

 

「俺には野球しかないんじゃなくて、野球があるんだ」